【マネジメント入門⑧】最も基本的なマネジメントの体系①
ドラッカーマネジメントに興味があるけど何から手をつけていいかわからない人のための連載「マネジメント入門」、8回目は最も基本的なマネジメントの体系を取り上げます。
前回の投稿で、マネジメントの体系を理解すれば、一流のマネージャーとして成果をあげることができるということをお伝えしました。
では、その体系とはどういったものでしょうか。
組織は道具
ドラッカーマネジメントにおける最も基本的なマネジメントの体系を図で表すとこのようになります。
まず最初に抑えておくべきことは組織は道具であるということです。組織は道具だと言われてピンと来るでしょうか。様々な研修やセミナーでこの話をしてきましたが、多くの方が組織が道具だと言われてもイメージが湧かない様です。特に組織に雇われている労働者であればその傾向は顕著になります。
自分たちは組織に雇われていて、組織の指示で仕事をし、直接的には組織から給料をもらっている、そんな現状で組織が道具だと言われてもすぐには理解できないのは無理もありません。
しかし、ドラッカー教授は組織が道具であるといいます。はたしてどういう意味でしょうか?
組織ができたのはいつか
組織が道具だという理由は、人の働き方の歴史にヒントがあります。200年から250年前の日本を想像してください。つまり江戸時代の日本です。
まず、最初に江戸時代の日本に組織はあったでしょうか。
答えは「はい」です。江戸時代にも組織自体はありました。幕府、奉行所、商業組合、火消しなんかも組織と言えるかもしれません。
では、現代の私たちが関わっている企業のような組織はあったでしょうか。
答えは「いいえ」です。江戸時代にはまだ現代の企業のように営利の事業活動をおこなう組織は存在しませんでした。例えば幕府は軍隊や行政組織、奉行所も警察組織や行政組織といったように、営利活動をおこなう現代の会社とは違うものです。
この話をすると、大きな商家は違うのですかという質問がよくでます。確かに、当時の大きな商家は店で人を使って複数人で仕事をしていました。しかし、それは現代の雇用関係とはちょっと性質が異なります。詳細は割愛しますが、雇用関係というより家族関係に近いもので、現代の企業のマネジメントとは違うものと位置づけています。
話を戻すと、江戸時代は体系図でいうところの社会と個人が主体として成立していたのです。これは日本以外の国も概ね同じ様な状況でした。
当時の働き方
そんな社会で人々はどのような働き方をしていたのでしょうか。多くが、個人単位や家族単位で働いていました。例えば鍛冶屋の源さんがいたとします。源さんは日の出とともに起き、朝食を食べ、自宅の鍛冶場で日が暮れるまで仕事をします。日暮れとともに仕事を終え、夕食を食べて就寝します。少々雑な描写ですがこんな感じだったのではないでしょうか。
前述の通り、日本以外の国も仕事の内容は違えど似たような働き方をしていたと言えます。しかしそんな中、ひとつだけ違う国がありました。イギリスです。
イギリスは当時すでに産業革命が始まっていました。資本家が、土地を用意し、機械を設置し、その場所でその機械を使ってみんなで働くということを始めていたのです。今まで、個人単位や家族単位で働いていた状態から、赤の他人同士が同じ場所に集まって、同じ時間を共有して、同じ時間に帰っていくという働き方が始まりました。
つまり、社会と個人で構成されていた世界に、当時の人が必要だから組織というものを作ったのです。人が何らかの目的のために作ったものだから道具と言えることになります。コミュニケーションやリーダーシップといった現代の組織が共通して抱える課題はこの頃から始まったとも言えます。
道具の特徴
道具にはある特徴があります。それは、正しい使い方で使えば人の役に立つが、間違った使い方をすると人に害を及ぼすことがあるということです。
例えば包丁。正しく使えば美味しい料理が作れます。しかし間違った使い方をすると人の命を奪うことができます。
このように、道具は正しい使い方を知っていないと危険な存在でもあるのです。
では、組織という道具の使い方、役割を知っているでしょうか。残念ながらほとんどの人がその使い方や役割を知りません。そもそも組織が道具だという認識を持ったことがないので無理も無いとも言えます。組織で働いている人のほとんどが、組織という道具の使い方や役割を知らない状態で働いているというのが現実です。
次回は、組織という道具の役割について取り上げたいと思います。
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