西洋と日本の労働観
このコラムは傍楽通信2014年9月号の記事をリライトしたものです
西洋と日本の労働観を考える切り口として、今回は人間の思想に深く影響を及ぼしている宗教や神話を取り上げたいと思います。
西洋の場合
まず、西洋の神話から見てみましょう。ギリシア神話によると、労働はゼウスの報復とされています。ゼウスは人間が火を使うことを禁じていました。しかし、そのことを不憫に思ったプロメテウスはゼウスの命に背き、人間に火を与えました。ゼウスは怒り、プロメテウスを岩にくくりつけて串刺しにし、鷹に肝臓を食べられ続けるという罰を与えました。また、人間には厄災を与え、農業、すなわち労働を行うことで飢えをしのがなくてはならなくなったのです。
次にキリスト教から見る労働観はどうでしょうか。キリスト教における労働観の根本は、ユダヤ教の旧約聖書の最初である創世記にさかのぼります。アダムとイヴの物語です。アダムとイヴは最初の人間とされる人たちで、エデンの園で神の庇護のもと、何の不自由も苦しみもなく子供のように無邪気に幸せに暮らしていました。しかし、彼らは禁断の果実を食べてしまい、神の怒りを買い、楽園を追放されます。その時、神が言った言葉に「お前たちは額に汗して働かなければならない」とありました。
このように、西洋では労働は神が人間に与えた罰であり、生きるために必要なもの、苦しいもの、押しつけられたものという労働観があります。
日本の場合
次に日本の労働観について、仏教、そして古事記に代表される日本の神話を見ていきたいと思います。
まず仏教です。日本に仏教が伝わってから、働く民衆に一般的に広まり密着し、教えを生かした労働の思想が説かれるのは比較的後の時代になってからだと言われています。具体的には江戸時代初期の鈴木正三、中期の石田梅岩などの思想家が現れる時代と言えるでしょう。鈴木正三は「農業はすなわち仏行なり」と言っています。働くことそのものの中に仏法があるという意味で、信仰と生活を一体としてとらえました。
このように農民や職人に強く影響を与えた鈴木正三ですが、石田梅岩は主に商人層に影響を与えます。当時、商人が働き利益を得ることは私欲から出るものであり、卑しいことだとされていました。しかし、石田梅岩はこの考えを否定します。「市中に住み商工の民は、市井の臣であり、人格的にも職分のうえでも主君に使える武士と同等である。商人の買利は士の禄に同じ」と説き、商人の利益は社会に誠実に貢献したことによる正当なものだと言いました。
次に古事記に代表される日本の神話の世界ではどうでしょうか。天照大神は機織りを仕事とし、高天原に田んぼを持っていたとされ、他の神々も同様に仕事を持ち働いたとされています。また、人間が地上で営んでいる農業は天照大神の稲をいただいたことが始まりだとも言われています。つまり、日本人にとって労働は神々もされている尊いものであり、神が与えた罰ではなく神からの祝福とも言えます。
まとめ
西洋と日本の労働観を宗教や神話をもとに紐解いてみました。こうしてみると、西洋では労働に対して否定的な、マイナスのイメージを感じるのに対し、日本では肯定的な、プラスのイメージを感じます。私たちのDNAには日本の神話や仏教に根付いた労働観が刻まれているのではないでしょうか。
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