利益は必要なもの
社会と経済にとって必要不可欠なものとしての利益については、弁解など無用である。企業人が罪を感じ、弁解の必要を感じるべきは、経済活動や社会活動の遂行に必要な利益を生むことができないことについてである。
P.F.ドラッカー『マネジメント<上>』
利益をあげることに関して、罪を感じる感覚が人にはあります。
しかしこの利益を蔑視する傾向は間違いなのです。
企業は社会に一定の役割を果たす道具です。特有の役割を果たし続けるため、存続に必要なお金を得ることはむしろ責任と言えます。
なぜこのような誤解が生まれたのでしょうか。
ひとつには江戸時代の社会にあります。
支配階級だった武士は、当時すでに社会を動かすには必要不可欠な存在となっていた商人に対してある種の妬みのような感情を持っていました。
そのためもあって、商人は身分としては一番低くされ、商品が得る利益は私欲以外の何物でもないとしたのです。
そういう感覚がいまも利益蔑視の考え方につながっているのではないでしょうか。
ちなみに、当時でも利益を正当なものとする考え方もありました。
石門心学をひらいた石田梅岩は、商人が得る利益は武士が主君から得る禄と同じであり、市井からもらう禄だと言ったのです。
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